関西色を消す
僕は2009年に東京に出てきて、8年が経った。それまでは、府内で引っ越すことはあったけど、ずっと大阪で生活してきた。
だから今でもウチの中でもそうだし、友達と話す時も大阪弁で話す。外で標準語で話してるのが、妻は今でも信じられないという程だ。
特に仕事をするときにおいては、関西色を消している。「言われなければわからない」と言われる事も多い。きっとそれは関西人が関西色を出し過ぎてることの裏返しなのかもしれないけど。
東京では「関西の人は方言をなおさない」とよく言われる。それは紛れもなく事実だと思う。郷土愛が強いのはもちろんある。ただそれ以外に、東京への対抗心もとてつもなく強いし、標準語で話す事への抵抗感もハンパない、って言う事も大きいと思う。大阪の人間として、その感覚はすごくわかるし、それが大阪の中では普通なので、全くもって問題にならない。
ただ、東京に近い地域と北海道は別として、他の地域の人たちは違う。矯正して標準語を話す。それが慣習みたいになっている。意思疎通を図る上での利便性向上効果はあって、語彙の違いとかアクセントの違いで会話が成立しない、なんて事は起こりにくくなるのはわかる。でも方言も多様性の1つで日本の地方文化でもあると思うんだけどな。
そうは言っても好き嫌いはあるとは思う。
僕が関西色を消しているのは、15年ほど前に当時、東京出張で取引先との会議で起こった事に始まっている。
合弁プロジェクトのような体での案件なので、多くの企業とヒトが参画してたのだが、その元締めのマネージャーが発した一言。
「僕ねぇ、関西の言葉、嫌いなんだよね。出来れば仕事する上で聞きたくないんだよね。」
かなりの数の関西人が参画しているプロジェクトで、これを言える鈍感力もすごいし、これを言って何が良かったのか、今でもサッパリわからない。
でも僕が思った事は、東京では関西弁ってだけで仕事に影響が出る事があるってこと。友人関係なら付き合いに無理する必要はないけど、サラリーマンとしての仕事には与える影響は少なくない。ならば、関西色を消して、それでいて自分の力が発揮できるようになるしかない、と思った。
元々ナレーターやらアナウンスに興味もあったので、言葉に苦労はなかったけど、色が変わるまでには時間が掛かったような気がする。
まあでもやっぱり、自分らしい表現をするには慣れ親しんだ言葉が一番だと思う。
そんな事を考えた月曜日だった。